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2009年6月18日 (木)

■手帳の中のダイヤモンド -14- 第五部 PRE STORY(2) -更新第235回-

               --2--

 絢辻さんは、じっっっっっっっっと僕を見ていた。
 オフェンスに回った時の目じゃない。ディフェンシブでもなければ、いつも
みたいな、斥候の光もない。黒々とした瞳の真ん中は磨きこまれたガラス玉の
ように澄んでいるのに、進入しようとする光を歪めて、その奥を素直に覗かせ
てはくれない。強いて言うなら、広く開放された迷宮の入口の様で、これまで
あまり見たことのない状態の絢辻さんのような気がした。
「え、僕?」
「そう。あなた。あなたは、どう思っているの? 『つきあう』っていう状態
……或いは、そのはじまりについて。それと、あたしたちの関係について」
 声の調子や言葉の選び方、その奥に見え隠れする思いの生まれ方はいつもと
変わりない。けど、今僕の目に映る彼女は……なんだか『普通』だ。新種の生
き物「絢辻詞」ではない、もちろん頭脳だけはとてつもなく優秀なのだけど、
まるで普通の……。
 僕は一呼吸置くために、もう一度コーヒーに口をつけた。深めの香りと砂糖
の甘みがまぶたの裏にしみこんで、落ち着きが戻ってくる。そして思った。
 ……そのことに、自信がないから訊いたんだけどなあ……。
 だって僕は、未だに意味が分からないでいる。
 「あたしをあげる」って、どうなるんだ? 「僕の日常をもらう」って、ど
んなことだ?
 絢辻さんに迷いはない。それはそうだ。僕らの間にあるものはあの契約のキ
スだけで、そしてそれを成立させたのは、絢辻さん自身が綴った言葉なんだか
ら。契約書は彼女の言葉でしたためられ、それを解読できるのも絢辻さんだけ。
 そうして出来上がった今の関係に、僕は未だに戸惑っている。見えない聞こ
えない分からない、絢辻さんの本心に、僕の言葉やゆび先は届いているんだろ
うか。
 ……だけど。
 あの契約のキスと今日までの時間は確かな事実で、それを大事にしたいんだ
ったら、ここは強気に出ていい、否、そうすべきところだ、そうに違いない!
「ぼ、僕は……」
 そうと決めた僕は、声を小さく、振り絞る。握った拳に力が入って、肩も多
少いかっていただろう。
「そりゃあもちろん……つきあってると、……思ってるよ……?」
「根拠は?」
「へ?」
 ごくごく、素朴な疑問を口にするように。絢辻さんは訊いて来る。
「な あ ん に も し て な い の に ?」
「えっ……!?」
 心臓を掴まれ……とか、生易しいもんじゃない。
 思い描いて欲しい。一メートルほどある棒の先に、直径30センチほどのゴツ
ゴツした鉄の塊がついた荒々しいハンマーを。そいつを思い切り左胸に叩きつ
けられ、吹っ飛ぶことが出来ればまだ楽だったのだけれど、僕の体はコンクリ
の壁に磔にされていて。骨と内臓の両方にその衝撃が突っ走った。パッとから
だが破裂……するかと思った。
「ちょっと。声」
「え……あ……ごめん。だけど、だって、絢辻さん……」
 咎める目の絢辻さんに、僕は反撃にもならない、逃走に近い些細な抵抗を試
みる。けれどもそれも、
「だってそうでしょ? 世間的に男女のお付き合いって言ったら」
休みの日に一緒に出かけるとか、食事に行くとか。手を繋いだり、抱き合った
り。他にも色々あるわよね? と絢辻さんは指折り数え、
「あなたの好きなお宝本には、そういうこと、書いてなかった?」
と、最後に意地悪く付け加えられて拿捕される。
「……書いてありました」
 うな垂れるしかない僕に、絢辻さんは掌を合わせ「でしょ?」とニコニコ笑
う。さっきまでの『普通』の気配はどこへやら。いつもの彼女に戻ってしまっ
た。辛い。
「あたしたち、そんなにそれらしいことをした憶えがないわ」
 特に悪気もない風で、絢辻さんは再びお茶をすする。言われてみればその通
り、はじまりのキスこそあれ、以後は学校とその行き帰りでしか会わない体た
らく。だけどそれには、僕にだって言い分がある。
「そ、それはまだ、日が浅いから……。忙しい時期だし、それに」
「じゃあ、はじまりは?」
 戦況は既に撤退戦。既に敗残兵となった僕に、冷徹な敵司令官殿は二の矢三
の矢を放たれるのであります。
「そ、それはもちろん、」
「そうよね」
 ……だめです! 我が方の作戦は筒抜けであります!
 絢辻さんは悠々とカフェオレの続きを舌の上に転がして、次なる砲火を準備
中。包囲網は着々と完成しつつあり、此方の出方を窺っているのか、
「一般的には、どんな風に始まるのが普通なのかしらね」
と、自問するように呟いた。
 それは威嚇射撃に近いものだったのかもしれないのに、最早ゆとりを失った
僕は、あさってを向いたその砲撃にも、つい反応してしまった。
「そ、それはどちらか一方が告白をして、された方がそれをOKし……て……」
 言いながら。
 僕は心に、暗澹たる色の帳が垂れ込めてくるのを感じた。
 あれは……公園でのあれは、確かに告白めいてはいたけど、もしかして絢辻
さんはそんなつもりじゃなかったのか? 僕がそばにいて、嬉しい。楽しい。
ずっと近くにいて欲しい。そんな言葉だったから、僕はすっかりその気になっ
ていたけれど。あれが絢辻さんの恋心の告白だったなんて、いったい誰が決め
られるだろう。
 たとえば、友情。たとえば、パートナーシップ。絢辻さんの言葉を借りるな
ら、共生関係を一歩進めたもの。そんなものだったのか。
 正直、僕は国語が苦手だ。英語も。数学はちょっとは出来るつもりでいるけ
れど、それだって絢辻さんには到底及ばない。一年生の七咲に、なんとか教え
られる程度のものだ。そう、論理も情動も、目の前の女の子に何一つかなわな
い。そんなんで、どうして彼女の真意にたどり着けたなんて思ったんだろう。
 考えが声にならなくなり始めた頃から、僕には膝の上の拳しか見えていなか
った。嫌な考えがぐるぐると音をたてて回っている。
 その音の隙間に、コトリ、と木と木の触れ合う丸みのある音が割り込んだ。
 見れば、……何してるんだろう。
 絢辻さんは僕に喋らせておいて、テーブルの隅に小さく立ててあった、木製
の台座のついたメニューをやおら取り上げ、その上にするすると視線をすべら
せていた。『本日のおすすめ』?
 そのうちに絢辻さんも、ぽかんと見ている僕に気が付いて。
「ん? ああ、ごめんなさい。あなたも、ケーキ頼む?」
 僕は、耳を疑った。
「ケーキって……」
「そ。知らない? スポンジの上に生クリームとかフルーツを……」
「し、知ってるよ……。何で急にケーキ……」
「うん、長くなりそうだから。あ、これ美味しそう。すみません、いいですか
?」
 お構い無しに絢辻さんは、上品に手を挙げて、店員さんを呼ぶ。
 ケーキ……。そうか。ケーキ……なんだね。
 僕がした質問も、僕がどう考えているのかも絢辻さんはお見通しで、既に自
分の答えも用意していたんだ。こうしてお茶とケーキを楽しみながら、今日ま
での誤解を解くために、僕をここへ呼んだのか。
 パチッ、といやな音がした。瞼の奥の暗闇に、何かがフラッシュバックした
音。冬。夜。公園。遠くに見える町灯かり。舞い落ちる、雪。目の前に広がる
見覚えのある風景。浅はかな……同じ過ちを今また繰り返そうとしていた自分
に、心底、嫌気が差した。
 やってきた店員さんにメニューを指し指しオーダーを告げ、絢辻さんは僕を
振り返る。
「あなたは何にする?」
「僕は……要らないよ……」
「そう? じゃあ、それだけで」
「かしこまりました」
 僕が放つ負のオーラを感じ取ったのだろう、給仕の女性は不憫なものを見る
目で帰っていく。
 ホントにいいの? ここ、ケーキも美味しいのよ? 絢辻さんは涼しい顔。
けれど僕にはもう、それが僕に対しての言葉なのか確信が持てず、何も答えな
かった。
 一人で浮かれ、夢中になっていた自分が情けなくて、恥ずかしくて。
 そして、惨めで。
 いつか味わったあの感情が、心の一番寒いところからまたやってくるのを深
々と感じ取った。二年前の冬。世界で一番寒い冬の公園で感じた、心に空いた
大きな穴を吹き抜ける風のような感情。穴って何もないんだ、何もないから穴
なんだ。何もないものにつける名が、あるはずの物を失ったものにつける名を
穴というんだと、そんなことを知った冬。
 目の前に結ばれた二つの拳に、ぎりと殺意が宿った。
 殺してやる。
 この、間抜けな男を。
「じゃあ、絢辻さんは、ぼ……」
 さっきまで、おいしい水とお茶で潤っていた喉はカサカサに乾いていて、途
中で一度、つっかえたけれど。
 進むんだ。あの冬から、一歩でも進むんだ。待つんじゃない。どうせなら、
自分から声に出して確かめて……せめて、自分の言葉で終わらせよう。そう決
めた。
「僕のことは、なんとも思ってくれてないんだね……?」
 決めてからは、早かった。僕は確実に成長していた。考え、結論を出し、そ
したら速やかに実行する。それを教えてくれたのは絢辻さんだった。
 ありがとう、絢辻さん。そして……
「え? 馬鹿ね、そんなはずないでしょ?」
 さような……へ?
「バナナシフォンケーキのお客様」
「あ、あたしです」
 マヌケな僕のマヌケな声をかき消すように、夢の国からケーキが届く。絢辻
さんは、そのちょっぴり地味な色あいのお菓子を前に、わー、と小さくはしゃ
いだ。あ……かわいい。
 いただきます、と弾んだ声でフォークを取り……そこで初めて、僕の異状に
気がついたみたいだった。
「……どうしたの?」
 涙腺、鼻腺、そして感情。あらゆるものが決壊寸前だった僕の顔は、よっぽ
ど酷かったのだろう。絢辻さんは一度ぎょっとなったあと、「しまった」とば
かりに眉を寄せた顔で、
「やあね」
と微笑むや。
 ケーキのはじに当てがったフォークを一息に。ストンと落として、スポンジ
の小さな切片を拵えた。それから少し、何かを迷って、フォークのおしりを僕
に差し出した。
「?」
「。」
 自分を指差す僕と、小さく頷く絢辻さん。食べろ、ということのようだった。
 訳も分からず。
 おずおず、差し出されるままフォークを受け取り、絢辻さんの切り分けたそ
の一口大のバナナシフォンケーキを口に運ぶと。
 柔らかなスポンジが、上あごをフワリ優しくくすぐった。バナナのたっぷり
とした甘みと南の国の香りが口の中に広がって、僕はなんだか子供の頃に戻っ
たような、幸せな気持ちになれた。
「あ……」
「おいしいおいしい」
 ニコニコと、駅前のスタンドで一緒にメロンパンを食べさせてくれたときと
同じ調子で、絢辻さんは。
「はい、じゃあ、返して」
と、僕からフォークを奪い返すと、今度は自分でケーキを口に運び始めた。
 僕はもう何が何だか……何が起こったのかさえわからなかった。住み慣れた
町の、ただの町はずれ。喫茶店の中にいるだけだっていうのに。


                              (つづく)

 






 ◆『アマガミ』絢辻さんシナリオ解読企画 「手帳の中のダイヤモンド」 目次
    01 前口上
    02 序文・絢辻詞という「少女」
    03 第〇部 物語のアウトライン 

    04 第一部 学校生活編 PRE STORY (SS)
    05 第一部 学校生活編 その1
    06 第一部 学校生活編 その2

    07 第二部 「目標」編 PRE STORY (SS)
    08 第二部 「目標」編

    09 第三部 家族編 PRE STORY (SS)
    10 第三部 家族編

    11 第四部 手帳編 PRE STORY (SS)
    12 第四部 手帳編 その1
    13 第四部 手帳編 その2

    14 第五部 恋愛編 PRESTORY その1 その2 その3 (SS)
    15 第五部 恋愛編 その1 その2 その3
    16 第六部 終章 PRE STORY その1 (SS)

    ◎『アマガミ』 絢辻さん SS 目次リンク


 

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