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2009年5月20日 (水)

■柵越え -更新第219回-

こんなステキな記事があったので反応してみる。


  ◆「萌え」る気持ちは何歳まで続く? [たまごまごごはん]


……ああ、有名サイトを運営して、お友達いっぱいな方々でも、
こういう思い悩みをされるのだなあと思うと、
なんだか救われるような、勇気づけられるような。

「2次元にマジ恋愛してるのなんて、実は俺だけなんじゃね?」
と、やっぱり世間を疑ってしまう瞬間てあるんです。
だってシゴトバのオタ後輩2名は、やたら冷静に見えちゃうんだもんよ。
世代の差か?

  そんな彼らも、絢辻さん絢辻さん絢辻さん絢辻さん言ってるオイサンを見て
  先を行く勇気?を持ってしまったみたいなんで、
  オイサンも嬉しいやら切ないやら、
  親御さんに何て言って謝ろうか考え中なんですけど。

オイサンのスタンスでは、
「萌え」ってのはあくまでも恋愛感情のレッサーバージョンというか、
「人として愛しているわけではない」感情だと解釈しているので、
2次元に対して抱く分にはある意味正常で問題ではないと思うワケです。

  小動物や植物を愛でる感情に近い、と思っているので。

それが2次元へのマジ恋愛感情ということになると、若干の問題というか、
やはりある種、世間的には尋常ならざる感情であることに
自覚的でなければならないと思っています。

デそれが「アカンのか」と問われれば……アカンことない……と思うんですけどね。

  しかし、それが自身の社会的な活動に支障をきたすものなら、
  多少アカンかったりするかも知れません。
  ただそれは、「2次元だからアカン」のではないので、他の事象と同列。

2次元に対する気持ちは、所詮2次元に住む方々には届きません。
哀しいかな、それだきゃどうしても。
投げる球投げる球、振るバット振るバット、全部空振りです。
ヨノナカから見れば、それ自体は、実の伴わない、無益な行為です。
それを良い大人が、血道をあげてやっている。

……マ客観的に、見ている側が鼻白む気持ちもわからんでもないです。

ただ、そうして球を投げること、バットを振ること、
投げられる気持ち、振る闘志、それは現実なのだということで、
球を投げも、バットを振りもしないよりは確実に自分に何かが起こるし、
湧き上がる気持ちは決して虚構じゃない。
そういう気持ちは、本能と直結してるだけあって、ドえらいパワーを持ってますから。
うまく使わないテはない。

  特にオイサンのような2次専には、もうそれしか供給源がないわけですから。
  それを逃してどう生きる!? という……大問題です。

年齢とかステータスとか、
それらは社会では節目・目安となるけども、ゼッタイではない。

  ……勿論、それに従わないことでペナルティを喰らうコトもある。
  でもそれはしゃあない。
  だってそれが世間のルールなんだから。
  そのダメージも織り込み済みで前に進むか、そうじゃないかだ。
  それは諦めじゃない、覚悟だ。
  ありがたいことに、そういうことにもかなり融通や自由の利く
  世相になってきてますけどね。

自分がどうなっていきたいか、
心は、体は、何を訴えているのかということが、やっぱり第一義。
自分はまだいける、まだやれる、
……なのに世間の物差しのプレッシャーに負けて、道を外れるのは……
勿体ないんじゃないか。
そのパワーが自分にもたらすものを、よっく理解して、何と引き換えにするのか。

  ……ただ、皆さんね。
  世間のルールってのは、先人の知恵の積み重ねで出来ていたりもしますから。
  統計学的に生きやすいってことでもきっとありますよ。
  今の世の中、規格の外に行くと、やり辛いこと、増えますしね。
  図体がでかいと、着るもの探すのにもヒト苦労するのと同じです。
  無茶しろって言ってんじゃないですよ。
  お利口に生きるにも、バカのまま行くにも、覚悟がいるって話です。

まあそんなコトなんで。

やることやったら、振りたいバットは思い切り振る。
無邪気に、周到に、ときに狡猾に。

……それが、スカウトの目に止まろうものなら。
でかいアーチを描こうものなら。

めっけもんじゃないですか。

オイサンでした。



  ◆5月20日、追記!



> 2次元に対する気持ちは、所詮2次元に住む方々には届きません。
> 哀しいかな、それだきゃどうしても。
> 投げる球投げる球、振るバット振るバット、全部空振りです。
(中略)
> そういう気持ちは、本能と直結してるだけあって、ドえらいパワーを持ってますから。
> うまく使わないテはない。

……と書いたんですが、もちろんそれを否定するもんじゃありません。
例えばそれを「上手く使えない」なら、
「その気持ちは諦めた方がいいって言うのか!?」
といわれそうですが、そんなコトは決してない。

2次元には、打っても打っても響かない。
それは、一先ず覚悟だけはしておいた方が良い。
打っても響かないから、アナタのその気持ちは、
誰も保証してくれないし証明してくれない。

だから、自分で、自分に対して、証明し続けるしかないんです。
それはどんなカタチをしてるか、分からない。
だから自分の納得の行く形を、
永遠に納得はいかないかもしれない、永遠に納得いかないと思うのだけど、
画面の向こうで、あなたの大好きなあの人がニッコリ笑って頷いてくれるまで、
証明し続けるしかないです。

それが無駄なことなのか、そうじゃないのかは、
自分自身がどう生きたいのかにかかっている。
それだけだと思います。


 

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