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2009年4月25日 (土)

■おいもダムの決壊 -更新第204.6回-

オイサンです。

『アマガミ』特集の合間っつうか、
澪ちゃ……否、『けいおん!』がらみで立て続けに二つ、
素敵なエントリを見かけたので、珍しく反応してみたり回です。


  もちろん絢辻さんのこともちゃんとやります!


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■■■━ 日常に物語はあるか? ━■■■
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まずは、町で見かけた二つのエントリをご紹介。

 ◆なぜ俺が「けいおん!」を素直に楽しめないかについて
  (思考錯誤)

 [アニメ]けいおん! ポテトと値切りのくだりの解説 吉田玲子の本領発揮
  (karimikarimi)

上の方のエントリは、「『けいおん!』は物語性が薄い」とおっしゃり、
転じて下の方のエントリでは、その緻密さについて語ってらっしゃいます。

マどっちが合ってるどっちが間違ってるという話ではないと思うのですが、
これらを踏まえて、オイサンの「物語」というものへの解釈を書いておこうかなという。
そんな話です。



  ■物語、二つのあり方



『けいおん!』などの4コマ作品は、
「始めから一本存在する、軸となるストーリーを楽しむ」
というよりは、
「人の心が動いた、その結果として生まれる物語の
 誕生の過程を読み解くもの」
なのではないのかな、とオイサンなんかは思ってます。

  なんか、分からないような、分からないようなことを書いていますが
  (んじゃ分かんねえんじェねえか)、
  どういうことかといいますと。

物語には、
「軸となる大きな状況が先ずあって、
 その状況に呼応する形で人物が動き出すもの」
と、
「先ず人物だけがいて、心動いた人物の軌跡が
 結果として物語であったことがわかるもの」
があると思っています。

  「状況が存在しない」という状態は、まあホントはあり得ないんですが、
  「存在しないように見える」、つまり
  「視聴者にとってあたり前の状況だけがある」という画だと思って下さい。

  作り手の送り出した風景のゼログランドと
  受け手のゼログランドが同じなので、
  あたかもそこには何もないように見える、という状態です。

前者の物語には、なんというか、
「始めから、人が動き出すための仕掛け」があるワケです。
たとえば、既に戦争が起こっていて、目の前で知り合いが死にそうになって、
さらにその先には新型のモビルスーツが寝てる、みたいなことです。

  もちろん「その戦争を起こした誰か」や「知り合いを殺そうとしている誰か」
  まで遡れば、そのお話は後者の物語の構造にもなりえます。
  あくまでも主人公の目で見た「物語」の話です。

転じて、後者の物語には、
人が動き出すための、格別の理由があまりありません。
目の前にあるのは日常の風景ですから。
ただ、ほんのちょっとしたキッカケだけが用意されてあり、
それを、何もないように見える風景の中から主人公が見つけ、
心が動き出して周りが変わり始めます。



  ■受け手のオシゴトと楽しみ



結局のところ、物語として起こっていることには、
どちらも然して変わりはないのですが、
受け手はかなり意識を変えることを要求されます。

前者の物語は、まあ……ある意味、分かりやすいのです。
大きな状況の方から、ズガーっと変化が訪れますから。
物語の圧力というのを水にたとえるなら、ダムが決壊するようなものです。
状況が人物を動かしてくれるので、そこさえ見誤らなければ
ハタで見ている方もワリとラクに楽しめます。
その分、細やかな展開を織り混ぜられると見落としたりしそうですが。

後者の方は割と大変で、
淡・々・淡・々と流れていく当たり前の景色の中で、
世界は何も変わっていないようで確実に変化していきますから、
その一つ一つのキッカケを見落とさないようにしていないと、
「アレ? 今、なんでこんなことが起こってるんだろう?
 このコはいつの間に、こういうコト考えるようになった?」
という事態に陥りかねません。

それこそ、上で挙げた二つ目のエントリ、
「ポテトと値切りのくだりの解説」
で言われているような、ほんの小さな心と流れを、
細やかな演出の意図から読み解いていく楽しみがあります。

そこに何もなかったはずなのに、
「物語然とした流れに押し流されていくものではなく、
 結果として物語になったもの」
が、
「なぜ物語として成立したか」
つまり
「そこに流れる人々の心の流れがどのように束ねられていったか」
を楽しむものだと思います

  ……マそれはつまりは
  「女の子たちがきゃっふきゃっふやってるのを観察して、
   内面を想像して納得する」
  というコトなので、一つ目のエントリ
  「なぜ俺が「けいおん!」を素直に楽しめないかについて」
  で書かれていることは間違ってないドコロカ大体あってる、
  というハナシなんですけども。



  ■とはいえ



……状況と人物はウラオモテですんで、
『けいおん!』がずっと後者のような物語で続いてきたわけでも今後行くわけでもなく、
前者型の物語にしても、「人物がなんらかの理由があって大きな状況を作る」のです。
大体、どんなお話も、前者のような「状況型の物語」と、後者のような「人物型の物語」を
ミックスした形で綴られていくわけです。

要は「全体的に見て、状況と人物、どっち寄りか?」
というくらいの見方で良いと思います。

他の作品で言うと(オイサンの見てきたものしか挙げられませんけどね)、
『ひだまりスケッチ』は多分、『けいおん!』とほぼ同じ土俵の上にあって、
前期に見ていた『みなみけ おかえり』は、それよりはやや状況側に寄っている気がするものの、
それでもまだ人物寄りの構造に見えます。
『マリみて』はさらに状況側によって、状況:心が五分五分くらいになっているのではないでしょうか。

ラインナップがなんとまあ、偏っているのがお分かり戴けると思いますけど、
オイサンほどもジジイになると、
前者型の「物語のための物語」は、激しすぎたり出来すぎだったりで
見ていてしんどかったりするのです。
上手に描けた後者の物語は、すごく胸にしみたりします。
あ、状況型でも、前期の『ドルアーガ』は面白かったですよ。



  ■デ、物語性の話です。



状況型のお話には、お話の流れに一本あるいは数本の「芯」とか「軸」が
話の最初からぶち込まれて貫かれていますから、
「人物が何を考え・目指して行動しているか」が把握しやすいです。

人物型のお話では、何もないところから、一歩一歩、
人物の目線に付き合って読み解いていく必要があるので、
次に何が起こるか見えないですし、
そもそも連中がナニ考えてんのか、
どーしたいのかさえハッキリしません。

  ……それにしたっても『けいおん!』の唯は
  何にも考えなさ過ぎだと思いますが……

そういう意味では、確かに状況型は物語性がつおい、
物語そのものに受け手を引っ張る牽引力があると言えます。

ですけども、
人物型の物語にもそれなりの物語性と強さが、
状況型とはちょっと違った形で存在しています。

人の心の動きの自然さと、見る者への同調性の強さ
……が、それにあたるのではないかと。

あたかも何も起こっていないように見せかける流れの自然さと、
と同時に何かが起こっていることを、
ちょっとした違和感でもって受け手に語りかけるさりげなさ、
そしてそれを読み解くことが出来た時の納得性の強さ、
「そういうことか!」という胸への突き上げの強さが、
人物型の物語のもつ「物語性」なのではないかと思います。

あとは、そう……「その流れが、いかにキチンとしているか、破たんが無いか」
という正確性でしょう。

  その読み解きの楽しさと、読み説けたときのうれしさというのは、
  「ポテトのくだりと~」で書かれているとおり。
  理解できた! と思えた時は、とてもとても、嬉しいんですよね。

それを牽引力、と感じるかどうかは……
もう、受けての好みの次元なので、なんとも申せませんが。

先にも書いたように、オイサンは状況型の物語は、
ある程度上手な力加減で牽引してもらわないとついていくのがちょっとしんどい、
そんな年齢に達しています。
人物型は自分のペースでゆっくりついていくことが出来るので、
見ていて比較的楽しい。
そんな感じです。



  ■ついでに、ポテトのくだり。



冒頭でご紹介した2番目のエントリ、
「ポテトと値切りのくだりの解説」についてですが。

『けいおん!』本編で、あのポテトのくだりを最初に見た時は
「ああ、さすが女性はかわいらしいことを思いつくなあ」
と思って見てました(キャラ的な意味でも、監督さん的な意味でも)。

■ポテトのくだり 冒頭~50秒目くらいまで。



  ちなみに、オイサンは原作は知らないのですが。

さすがにエントリの方で言われていたように、
2話目にまでその流れが続いていたとは思っていませんでしたが、
言われてみれば確かに、ポテトのくだりがあるのとないのとでは
2話目のムギちゃんの印象がちょっと変わってくるな、と感じました。

  まあ実際、どこまで脚本家やシリーズ構成家が
  考えているかなんてのはオイサンにはわかりませんけど。

  でも、この間『ひだまりスケッチ』のDVDの副音声で、
  シリーズ構成の方と脚本家がゲストに来て喋っているのを聞いたところ、
  そういうコトも案外普通にやってそうです。

  まあ、ねえ。
  プロですもんねえ。
  自分の手掛ける作品には愛着もわくでしょうし、
  色々、考えてあげたくなるのも分かります。

オイサンは、2話目でバイトを始めた時点で
「唯は多分、最後には、みんなのバイト代をもらうのをやめて、
 安いギターを買うって言い出すんだろうなー」
と思って見てたんですが、
そこで終わっちゃうのが素人の浅はかさ、だと思い知らされましたねえ。
浅いなー、俺。

そこで終わって、「上手になったらイイのを買うよ!」
ってなっちゃったら、ワリと熱血な展開になっちゃいますもんねえ。

ただ、物語の縦糸として、高いギターは残しておいて、
最終話辺りでどうにか手に入れる、とか、
そういう展開はありだったかもしれない、とは今でも思ってます。

  原作がどうなってるかは知りませんけど。



  ■最後に関係のない話でシメる。



CDの売り上げは、OP/EDともにまあ、なんかドエラく好調なようで。
見ごたえのある作品はキチンと収益を上げて、
2期3期と頑張っていって欲しいです。

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EDの『Don't Say Lazy』は、
正直、個人的には曲調としてはあまり好きなタイプではないんですけど
(でもヨノナカ的には、こっちの方が人気あるんですってね。
マ普通にも聴けるからでしょうね)。

出だしの「だって、本当はCrazy」が、
やたら下っ腹に感じてしまいます。
ビジュアル的にではなく、多分レトリックとして。

「だって」と「Crazy」の繋がらなさが、
やけに官能的というか、ヌルヌル幼げに響く(なんだそれ)のです。
不思議な感覚です。
いやん、澪ちゃんのえっち(←死ね)。

ところで、4話目になって、微妙にムギちゃんのキャラが変わったように見えたのは、
単に敬語を使わない場面が増えたせいですかね。


マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。

 

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