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2009年3月30日 (月)

■生無きものに、命ある尊厳を -更新第195回-

……今回の文章は、
30代も半ばに差し掛かったいい大人の書いたものと思えばぞっとする……
……いわばものすごく「うすら寒い」内容になっているんじゃないかと思いますので、
読む気のある方はそのおつもりで。

  もしかすると、普段書いている内容とあまり変わらず見えるかも知れませんが、
  それならば私が今回そのように感じてしまったのは、
  ほかならぬ私自身が「とても本気」だからでしょう。

このページはリアルに私を知っている方もたくさん読んでいらっしゃるので、
こんなコト書いて日常に支障を来したらヤだなあ、
載せようかやめようかどうしようか、とも思ったのですが、
今日ここに書いたことは、紛れもなく私のこの十有余年を支えてきた芯の部分なので、
この機会に書いてしまいたいと思います。

  ……「この程度の芯しかないから、お前フニャフニャなんだよ」
  と言われそうな予感も十分あるワケですけども。
  マそれはそれで仕方ないと諦めます。


  ……。


私は、ワリとゲームに感動する方です。

「感動する」にとどまらず、感化され、
日常の言動や行動原理さえ左右されてしまうコトが、ままあります。

その心の動きというものは、
映像や音楽や文芸(虚構かもしれないし、成功者のドキュメントや啓蒙書の類かもしれない)、
演劇、料理、その他モロモロの芸術や娯楽に感銘を受け、行動するということと
同列であると、個人的には捉えています。

そのこと自体に大した問題はないと思っています。

  ここまででも、既に、
  「ゲームなんか表現が未熟じゃないか、他の芸術と比肩しようとは片腹痛い」
  という論をお持ちの方も多々おられるとは思いますが、
  その辺は今回は置いておきます。

……ただ、私のタチのよろしくないのは、
「物語が描くテーマ」のような、作品が伝えようとするメッセージや、
作品を作ったご本人が放つ生の脈動のようなもの
(生きざまと言い換えても良いかもしれません)に感じ入るのではなく、
その物語の中に生きるキャラクターそのものに対して
感情を預け、心を動かされてしまうということです。

  作った人間に感銘を受けるのではなく、
  架空のキャラクターの言葉や行動に感じ入り、
  心を奪われてしまう、ということです。

逆に、生身の人間の発するものから、
生活を左右されるほどのそれを受けたことは、現時点ではありません。

日々の暮らしの中で、
身近な方々の、苦労や努力、才能を見、お言葉を戴いて、
それを軽んじるわけではないですし、
「ああ素晴らしいなあ、見習わなければ」
と思うことがあっても良さそうなものなのですが……

  ……「見習わなければ」という思いがありこそすれ、
  体がついてくる、突き動かされるほどの強いものを、
  その先に感じたことはありません。

心の奥底に、ズシンと響くものを感じたことは……無いのです。
何がそうさせるのかは、正直な話、自分にもハッキリとは言えません。

生身の人間は生きることに手一杯で、
限られた時間と小さなチカラを精いっぱいに振り回していくしかない。
けれども、それを全力でやり続けられる人間はいない。
それが悪いとは思わない。
それが当然で、それだからこそ美しいのだとも思う。

ただ、現実だからこそ、どうしてもそこに存在してしまう、
心と体のウラ・生が持つ後ろ暗さ・打算・妥協・限界が、
それを素直に受け止めることにブレーキをかけているような気がします。

何故なら、その言葉も行いも、ウソであるかもしれない。
ウソ、ではないにしろ、言動と異なることを、行動のどこかでやっているかも知れない。
あるいは、一面を見ればすべてが真実でも、
光を当てる方向を変えた途端に、すべてひっくり返ってしまうかもしれない。
どこかで手を休めているかもしれない。

けれども、たとえ手を休めていたとして、
十分な成果を挙げていたならそれは問うべきことではない、
それは分かる。

何故なら、生きているんだから。
現実での出来事なのだから、それは仕方がない。
あらゆる方向から光を当てて、影が落ちないことはあり得ないし、
すべて同じ形に影が落ちることはありえない。

けれども私は、どうしてもそこに違和感を……感じてしまうのです。
私はもう、弱い人間ですから。
弱い方から勘定した方が、全然早いような人間ですので、自分が、
だから……強い人間の強さを、感じ取ることが出来ない……
もしくは、感じとることを、同じ人間として、拒否しているだけなの……でしょう。
きっと。
そんな世界があるわけはないのではないかと。


  大方の人々は、この辺りで
  「なんかもうついていけない」
  とお感じですかね。
  今回ばかりは、それでも先を読んで戴けるとありがたいのですが、
  それはこちらの都合なので……胸糞の悪い方はどうぞお気になさらず。


その反面で「尊敬に値するキャラクター」というものの存在を、
私は信じてしまいます。

  尊敬、と言い切ってしまうとまた違うのでしょうが……
  その人物の行いや言葉のありように、
  そして物語が語る世界に、近づきたいとさせられる、そんな感情のことです。
  彼の、彼女のあり方に近づきたいとする、憧憬の念です。

そして、頻繁ではないにしろ、その思いに駆られ、体が動くことがあります。
言動、生活習慣、考え方、メンタリティが一変して行動に結びつき、
「自分が変化する」感触に、これまで何度も立ち会って来ました。

もう恥も外聞もナシに言ってしまえば、
たとえば、今回『アマガミ』の中で出会った「絢辻詞」というキャラクターは、
そんな尊敬に値するキャラクターの一人だと……
第一回のレビューではヒドイ言葉で書きましたが……
今では感じているわけです。

「絢辻詞」は、ウラオモテのまーあ激しい女の子で、
勉強ができ、運動もでき、生活態度の正しい模範生で、
学校では先生の言うことをよく聞き、友人からの信頼も厚く、
人の嫌がる仕事でも自らすすんでやり、
仕事の手伝いを頼まれてはやりこなして先生さえも驚かせる……
という、まるで『あばれはっちゃく』のような人物なのですが……。

その素顔は、
腹黒く、打算的で、全ては自分のためだと画策し、
高そうな犬を見かけては手懐けて何かに使ってやろうとさえし、
ビルの影で、自分に仕事を押しつける教師を無能だとなじりながら
ゴミ箱にケリをくれて発散をする。
果てには、自分の仕事の邪魔をする県議を脅すことすら厭わないという、
恐ろしい人物として描かれます。

そんな彼女の信念は

 「自分のメリットにならないことはしない。
  それはただの無駄で、それをする人間はバカだ。
  ただ、人にしたことはすべて、自分のものとなって返ってくる」

ということでした
……分かるでしょうか。

要するに、メリットを求めながらも、別途の報酬を望むわけではなく、
したことから何かを見出して血肉にすることがメリットだと言っています。

  それって、ただのイイ奴じゃね?
  ……ということに、後になって気付くのです。
  お話がすべて終わってみて
  「このコ結局、悪ぶってたワリに、悪いこと何にもしなかったなあ。
   怖かったけど、ただのすごいやつじゃん」
  と感心させられてしまいました。

  彼女の破綻は「激しすぎるウラオモテ」だけであって、
  彼女の不幸は「ウラオモテ」が人の世のモラルにおいて嫌われるものだ、
  というコトだという種明かし。

人から任されたことや、人の嫌がる仕事を受け、それらをやりこなして、
さらには他の人間と同様の当たり前の生活も
人並み以上に仕上げて生きる。

そんな生き方に、並々ならぬ知恵や工夫があるであろうことは
実際の世の中に生きている我々には容易に分かります。

  学生時代、宿題にテストに受験に、手一杯だった私には、
  そこにさらにやれクラス委員だ、先生の手伝いだ、何やらの実行委員だと
  二重三重の荷を背負わされて、
  破綻なく物事を進められる自信はありません。

その歪みから逃れるため、
彼女は仮面をかぶることを余儀なくされていたのでしょうが……。


  ……。


とまあこんな具合に書くと、
「まあ、作り物なんだから、すごいことが出来るのは、なんちゅうかね」
「それと現実をごっちゃにするのは、ちょっとどうかね」
というお話になるのでしょう。
私も、その思考の流れは理解しますし、賛成です。

  相手は虚構です。
  作り手の都合次第で、その立場や能力はどうとでも出来る。

そんなものがいくらすごかろうと、「うまく出来た話だね」で終わらせるべきで、
そんなコトより、
制約や限界の付きまとう現実の世で、
生きていくために必要な結果を出す生身の人間の方が、えらいし、すごいに決まっている。
何しろ虚構の世界でいくらえらかろうと、腹の足しになりゃあしない。

  ……わかってるんです、そんなことも。

けれども私は、いつの間にか、こんな風に感じるようになっていました。

あちら側の世界は、プログラムされたことが世界の全てであって、
プログラムにないものは存在しない。
裏も、嘘も、間違いも。
たとえば、電源を切ったその裏側で、「あー疲れた」と舌を覗かせる……
そんな「素顔」を曝け出すこともない。
本当の素顔が、意図され、描かれたものだけに宿っている世界。
人の意図によって作られたそのモノは、たった一つの正義によって規定され、
当たる光によって影の形を変えることもない。

それはつまり、
次元をまたいだ向こうにあるのは真実であることに規定された全てが真実の世界であり、
振る舞い、言動、
意図して描かれたもの以外は存在しない、
だから、彼ら彼女らには嘘がない。

目の前で語られている内容が全てで、
真実に規定されて「全力」と描かれた彼らは、常に全力であり、道にはずれない。
そんな彼ら彼女らのココロと体は信じることができる。
だから心に響く。
瞳に吸い込まれそうになる。
そして突き動かされる。
……のではないか。

ウソかホントかわからない生身のやることなすことよりも、
虚構の人格の目が気になる。

……おかしな理屈、さみしい考えなのかも知れません。
ウラを読んだり、思いやったり、
そんなことが苦手な私が単純な世界を欲しがった結果、という気もします。

このトシになって、二次元のキャラクターに真剣に入れ込んでしまうコトが
どれだけ尋常でないかというコトは、
多分、外から見る以上に私自身が重く受け止めています。
……受け止めているつもりです。
なんともはや、子供っぽさの抜けない話なのであります。



  というところで、この話は唐突に終わります。



もとより誰かに理解を求める話ではないですし、
反省したり、修正へのアドバイスをされたいがために書いた話でもありません。

ただ今回も、『アマガミ』から「絢辻詞」というキャラクターに出会えたことによって、
一つ、違った方向へ体を動かすことが出来るきっかけをもらったような気持でいたので、
この機会に、そのココロの仕組みを……イビツな心ですが……書き留めておきたいと
思った次第です。

今の私にとって、こうした出会いの一つ一つが、心だけでなく、
体の支えにもなっているのは実感として疑いようのないことです。
たとえこの仕組みが間違いであっても、
私は今、肚の底に湧き始めたこのチカラを、なんとかうまく使っていきたい。

  作り手の皆さんが、作品に、キャラクターに、
  そのような解釈を求めているかどうかということはまた別のお話なんですけども。

あとは生身の皆さんからもこのようなものを戴ければ、
人生がより豊かになることは間違いがないと思ってはいるのですが。


  ……。


私が気にしているある作家さんは「聖なるもの」を描きたいと仰います。
ナンダソレ? とお思いになるでしょうか。
私には、それがなんなのか、その方が何を言っているのか、分かる気はします。
ちゃんとは説明できませんけど。

ただ、純粋であること、ただ美しくあること、
そんな平べったいモノでは決してない、
汚れて乱れた先に出来上がるモノの中心で、じっと、激しく、もがき続けるもの。
……そんな感じなんじゃないかと思います。



オイサンでした。


やべえゲームする時間なくなっちったよ。

 

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