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2008年6月30日 (月)

■旅の化石 -更新第138回-

欲しいものはある。
だけども、
「今の自分にそれを使って何か出来るか」
「それを持つだけの意味が自分にあるか」
「自分にそれを持つだけの価値があるか」
という疑念が、買うことをおしとどめる。
趣味やおもちゃで買うだけなのに、面倒くさいヤツだな、とは自分でも思う。

聞きたいCDもある。
だけども、物量に押しつぶされて、
これまでに手に入れたものも、咀嚼できていない自分がいる。
そんな自分がまた新しい刺激を仕入れたとして、
そこに何かうまれるか。

新たに手にするそのものが、一生残っていく価値を持っているのだとして、
そのものの正しい価値を認め、一生自分の中に残るものとして取り込むことが出来るだろうか。
そのものを正しく摂取することが出来ず、
流行の一部として消費して終わってしまうのではないか。
それは、自分にとっても、そのモノにとっても、不幸で失礼な出来ごとだ。

……そうやって、今自分の中や外を整理できていないということが、
自分にまつわるあらゆるものの流れを澱ませてしまっている気がする。
というか、ほとんど確実に、そうなっている。

いかんなあ。
リセットをかけないと、デッドロックしている。

ミーハーで終わる自分は見たくない。

ここ数年で、これから先10年、20年、聞き続けているだろうと思う楽曲に、
何曲出会えたろうか。
数えるほども、あるかどうか。
それは楽曲の問題ではなくて、ただ自分の摂取のありようの問題だと思う。

小学・中学・高校の頃と異なり、同じCD・一つの曲を、延々と聞き続けることはなくなった。
金銭的な拡大もある。
趣味的な拡大もある。
時間の限界、感覚器の耐久力の問題もある。
昔のままではいられまい。
だけどもそれを理由にはしたくない。理由にはならないと自分で思う。
10年後、20年後に、今と同じ曲を聴き、
その良さを10年20年昔に知った自分を誇らしく思うことを夢に見る。

新しいアイテムや刺激を摂取して、多少テンションがあがったとしても、
何か新しく自分を展開させることが出来るか。
……という、かつてない自分の枯渇を実感している。
何も湧き上がってこない。
湧き上がってこない自分に、怒りや、嘘でも立ち上がってみせようとする活力を感じることもない。
ただただ呆れ、悲しみを持って見送るばかりだ。
枯れた。

何が原因なのだろう?

今、喜んで見ている『マクロスF』や『キミキス』、
今週には『ひだまりスケッチ×365』もスタートする。
DVDは揃えようと思っている。
けれども、『フリクリ』に感じた怒りのような熱情の思い出を、そこにこめることができるだろうか。
「これを見ながら、俺は何を考えていたっけ?」
なんて、ただ面白い作品として手元に残ったものを、
ボンヤリと眺めている未来の自分を想像すると、悲しみは頑なに、重くなるばかりだ。

……多分、遠目に見れば、こんなものはどうってことのない枯渇、
誰もが経験することなのだろうけど。
そんな風に冷静に考える目が下手にあるだけに、再燃が難しい気もする。

もっと視野を狭く、もっと乱暴に。もっと自分勝手に子供っぽく、
思い込んで、思い込んで、小さな箱にギュウギュウに詰め込んでやる。
今の自分に必要なのは、そんなことのような気がしてならない。

この間買った『ToHeart』のDVD-BOXは、毎日就寝前に1話ずつ視聴中。
これは買ってよかったなあと、見ながら自然に思った。

  

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