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2007年5月の2件の記事

2007年5月27日 (日)

■日曜の雨のように。 -更新第69回-

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
■ 「ここから にしへ みちなりにすすむと やがて みさきに でるだろう。
■  とうだいは そこだよ。
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GW中、凝りもせず、また北海道を旅行して参りました。
ikasです。
場所は釧路、厚岸、霧多布、根室。
北海道でも東の端の方、南岸側です。
Kiritappu
今であれば、知床を南に下った方、といえばわかりやすいでしょうかね。
根室には、日本最東端の岬、納沙布岬がありますね。
大体そんな場所です。

霧多布辺りは入り組んだ海岸地形が多く、
岬や奇岩の眺望を堪能できる場所です。
霧が多いことでも有名です。
マそれは観光で行くにはあまりありがたくなかったりもしますが。
飛行機飛ばなかったりね(←やばかったらしい)。
Kiritappu_a
あとは湿原。
釧路湿原にならんで、ラムサール条約にも登録されている大きな湿原のあるところです。

そんな土地で今回は、幾つかの岬を見、
おいしい海産物を食べ、湯に浸かってのんびりと……
イヤ客観的に見ればあまりノンビリはしていないのでしょうが、
マ楽しんで来たわけです。

ところで、私の旅は『あるく』旅です。
モチロン公共の交通機関は利用しますが、
それでもまあ、北海道の田舎ともなると、バスやらは生活道路のみをフォローするばかりで、
観光地までは近くの集落から4km5km、離れているなんてことは珍しくありません。
そこをザクザクザクザク、歩くわけです。

涙岬、湯沸(霧多布)岬、アゼチの岬、霧多布湿原、琵琶瀬展望台……
霧多布周辺のスポット群は、比較的、町から近くにあるものが多かったですが、
それでも、どれも人里から4km程度は軽く離れている場所ばかりです。

ある日の私の足取りはこんな↓感じです。

05:30
    起床。 宿から霧多布岬まで散歩(往復8km)。
    この岬にはエトピリカという珍鳥が、日本でもここだけに群生しているのですが、
    残念、オイサンはみられませんでした。
    替わりにワシを間近に見られました。嬉しかったものです。
        Eagle
07:45
    帰宿。朝食を戴き、次の準備。
08:45
    琵琶瀬展望台へ向けて出発。
    バス → 汽車 → バスと乗り継ぎ、10:45、「琵琶瀬展望台」着。
    琵琶瀬展望台は展望台というだけあって小高い丘の上にあり、
    釧路湿原と太平洋を一望に出来る景勝地です。風は強いが素晴らしかった。
    近くのレストハウスで、『サーキットの狼』の初版本を読みつつ
    ホタテカレーを戴く。
        Biwase
12:15
    琵琶瀬展望台を出発。徒歩で霧多布近辺まで帰ることに。
    ……全部歩いて帰るつもりはなく、展望台から約4kmの地点にあるという
    おいしいコーヒーハウスでコーヒーを戴き、
    そこからはバスで帰ろうというハラです。
13:15
    コーヒーハウス付近に着。
    ……潰れてたッ……!!
    替わりに、近くの湿原レストハウスでお茶を戴き、
    ついでに湿原の中をのびる木道を20分程散策。
    その後、バスで宿まで戻り、一服。
15:45
    今度は霧多布岬の逆サイドにある、アゼチの岬へ。
    近い道を使えば15分の道のりですが、
    ぐるっと回って、朝の散歩で見つけた面白そうな道を通って行く。
    アゼチの岬まで、約5km。
    しかも勾配は急だわ(8%~10%!)、名もない高台を見つけて上ってみるわで
    30分は余分にぶらつく。
18:00
    岬で夕陽を見送り、帰宿。
    帰りは近い目の道で帰るも、30分ほど。
  Sunset

1日でざっと20km強を歩く計算です。
自分でこうして振り返ってみるとワリとウンザリもするわけですが、
実際歩いている間は楽しいものです。
空気がおいしいというのもありますし、
道中の景色も、まあ単調になりがちではありますが、
関東にこもっていたのでは決してみられぬ絶景が日常の傍らにあって、とても贅沢です。

しかしなんでまた、そんなに歩くのか?
今日はその辺について、ちょっと面白い再発見があったので
お話してみたいと思います。


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■ 「いまなら、 ミズバショウ がみられるよ。
■  このたてものの うらへ いってごらん。
■  ちいさな さわが あるから、
■  その ほとりに さいているよ。
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なんでこんなに歩くかな。

まだまだハンチクとはいえお写真を撮るようになった手前、
イチイチ乗り物を停めて降りてカメラの準備をする、
という手間を嫌っている、という理屈を付けるところまでは簡単でした。
が、この理由は我ながら、さほど説得力をもったものではありません。
自分でだって、「そんくらい別にいいだろ」と思います。

歩くよりも早いスピードで進むことによって、
歩いていれば掬い上げられていた大切な何事かを見落とすことが怖い、
というのも理由の一つではあるでしょう。

そんな風に、私の旅には「あるく」という行為が染みついている。

それがGWまでの話。
さて先日。
『ゲームの話をしよう』の単行本第3集を読み直していて、
ちょっと面白い記事を見つけました。

ゲームの話をしよう〈第3集〉 ゲームの話をしよう〈第3集〉

著者:永田 泰大
販売元:エンターブレイン


『ゲームの話をしよう』とは、
何年か前にファミ通で連載されていた、当時の人気記事です。
永田泰大(当時筆名、風のように永田)氏が、
時にはゲーム業界の著名人に、
時には編集部の内輪の編集者に、
時には無名の一般人にまで、
ゲームにまつわる様々な雑談をもちかけて、
その時々のテーマに沿った気分を切り取っていこうという、
なんともアバウトで野心的な記事でした。
私はその記事の大ファンで、全ての回をスクラップしていましたが、
後に単行本化されてその意味もなくなってしまいました。
トホホ。

目に留まったその回の話し手は、『ドラクエ7』を作り終えたばかりの、
プログラマー山名学氏と、アートディレクターの眞島真太郎氏です。
『ドラクエ7』はディスク媒体で出た『ドラクエ』シリーズ最初の作品だったのですが、
フィールドの切り替えにしろ、戦闘シーンの切り替えにしろ、
なんにしてもディスクの読み込み時間が恐ろしく短いことが話題になりました。

    開発中、フィールドから町に入るシーンに
    いつもの「ザッザッザッザッ」というSEを入れようとしたら、
    音が鳴り終わるより早く画面が切り替わってしまったので
    切り替わるのをちょっと遅くした、
    などという逸話が残るほどでした。カッコイイ!

そのロード時間が短いことに話題は及び、
眞島氏がこんなことを言っていたのを見つけました。

  「感覚的にも、『ドラクエ』はやっぱり歩いて移動するゲームなんです。
   空間を省略するんじゃなく、魔王がいる場所まで歩いてたどりつくのだから、
   全部陸続きだと感じさせたい。
   そうなると、やはり読み込み時間をなくす、
   アクセス回数を減らすことが答えなんです。」
                   『ゲームの話をしよう』第3集 永田泰大 P.128

ああ、言われてみればその通りだなと。
『ドラクエ』は、お話の中でどれだけ便利な魔法を身につけ、乗り物を手に入れたとしても、
倒すべき最後の敵ー大魔王のもとへは、歩いてたどり着くことになっています。
あらゆる和製RPGはそうでしょうが、
それは偉大なる始祖である『ドラクエ』が植え付けてしまった
一つのお作法であると言えるでしょう。
それがあまりにも正しすぎる演出手法であるが故に。

  ……かと思えば、『ドラクエ8』は違ったな。
  ラストダンジョン攻略まで全部終わったあとに、
  空にいる魔王の所へラーミアで飛んでったっけか(笑)。

そして私は、ゲームの中でも、とりあえず歩き回ります。
あらゆる岐路、あらゆる地形を見て回り、
宝箱や、変わった地形を見落とすことを著しく嫌います。
ラストダンジョンも、必ずラスボスの手前まで一度探索をして、
岐路も宝箱も網羅してから引き返してセーブをし、
改めて戦いを挑むというクセがあります。

生き地獄と評されて名高い、初代『女神異聞録ペルソナ』のラストダンジョン、
あの「パンドラの奈落」でさえも、二夜を徹して探索と攻略に明け暮れたものです。

あくまでも、ゆっくりとした速度で、歩き、見聞きをし、
見落としのないように目的地にたどり着こうとする私の習性は、
ゲームの中でも変わらなかったわけです。

……。

イヤ、待テヨ?
ソレはもしかして、順序が逆なんじゃないだろうか?

「現実世界の性質がゲームの中にも尾を引いている」
のではなくて、
「ゲームの世界で培ったプレイスタイルに、現実での行動が引っ張られている」
ンではないか?

そんなことに、気が付いてしまいます。


■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
■  「みやげもの かい?
■   だったら あっけしに いくといい。
■   おいしい カキが かえるよ。
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
私は、私自身が自分の決定の意志をもったのは、
現実世界でよりも、ゲームの世界の中での方が圧倒的に早かったという自覚があります。
反抗期もロクになく、自分の道を自分で選んだ記憶がほとんどない。
好きなように何かを考え、考えに根拠づけて何かを決めた覚えというのは、
大体がゲームの中の出来事だったように思います。

  現実の世での道のりは、
  例えば学校であったり、習い事であったり、職に就くときでさえ、
  世の中の流れがそうであったから、
  或いは親がそのようにするように言ったから、
  特に意味や意義を感じることなく、それに則ってきたと感じています。

  私は小学校2年から4年まで書道をやっていましたが、
  親がそうした方がいいというから通うようになり、
  2年とちょっとの間、毎週木曜日の4時から5時の1時間、
  そこで10枚程度の練習をしていました。

  何の感慨もありませんでした。
  ほめられてもうれしくもなく、書いた字を美しいと思った記憶もありません。
  ことさらイヤだということもなかったと思いますが、
  面倒くさいという気は、とてもしていました。
  そして「そういうもんなんだ」とだけ思って、やっていただけです。

  5年生からは学習塾に通うようになりましたが、
  これまた、私はそこが「何をする場所か」ということを自覚していなかったように思います。
  もちろん勉強をする場所であることは理解していましたが、
  「学校と何が違うのか」ということを、キチンと理解していなかったように思います。

  なにより象徴的なのは、「学習塾に通うことにしたから書道をやめた」ということで、
  本当に何の考えもなく、次の面倒くさいことを始めるので、
  ようやくこれまでの面倒くさいことをやめられる、という風に思ったのだと思います。
  やめる日のコトなど、一切合切覚えていません。

  塾通いは「とりあえず高校に入るためにやるんだな」と認識していたので
  (ホントは中学受験に成功してれば中学でやめてたかもしれませんが)、
  高校に入ると1年しないうちにやめました。
  これも大した理由もなく。
  同じ塾に通っていた連中のなかには、塾通いを続け、そこで高校の勉強をやっている連中もいました。
  無論そういう選択肢もあったのだと思います。
  私は特に何かを考えることもなく、高校に入ったんだからもういいだろ、と思い、
  なんとなく親にやめる旨を告げたのですが、親からは
  「何で辞めるのか?」と聞かれて、逆に「えっ?」と思ったのを良く覚えています。
  「なんでもなにも、高校はいるために行けって言ってたんじゃないの?」
  と思いました。
  そのくらい、自分的には目標や意味を感じずにやっていた、
  「あなたがたが、コレコレこういう意図でやれと言ったんでしょ?」
  という理由が全てだったわけです。

そんなリアルな人生とは裏腹に、
ゲームの世界は選択と決断のパラダイスであり、
私は目標もって未来を託し、進め方もスタイルも、自分で考えて組み立てることが出来ました。
私が初めて、自分の足で世界を歩こうと思ったのは、
現実世界よりもモニタの向こうの世界であったのは、
すくなくとも私の中では明白です。

「現実に影響を及ぼさない決断や選択を、
現実でのそれに比肩しようとは片腹痛い」という意見はあるでしょうけども。
『ぼうけんのしょ』が消えた時の衝撃を知る者にとって、
そのようなしたり顔の意見は、聞くに足りない無見識としかいいようがありません。

そしてまた、ゲームの世界は人の意図によって作られています。
ラクをしようと努力をしたり、
早道・近道をしようと工夫をする者にはそれなりのメリットが用意されています。

そして逆に、それをせずに、じっくりと世界を探訪し、
ヒトコマヒトコマを味わい尽くそうとする者にも、
「お前、よくこんなトコまで見てくれてるな。
オジサン嬉しいから、サービスしちゃうよ」
と言わんばかりに、思わぬ花が咲いていることが……咲かされていることが、
多々、あったように思います。

果たしてそれが、ゲームの制作者が、
ただフとした思いつきから用意した気まぐれなご褒美であったのか。
或いは。
やはり私のように歩く旅を好んだ誰かが、
旅の中で感じた「世界には、とぼついた足もとに咲くものが必ずある」という実感の、
リアリティに基づいた表現であったのか。

分かりません。
分かりませんし、私は神様をロマン以上の意味合いで信じてはいないのですけども、
私はやっぱりこの先も、
誰かが用意するハズのないLoveSong探して、
ムダ歩きの旅を続けて行くんだろうなあと思います。
それが私の、この道わが旅である、なんてまとめはまあ、綺麗すぎてアレですけども。

そんなことよりも、
モニタの向こうの世界オリジンの私の人生は、一体この先どうなってしまうのか。
くわばらくわばら。


■■■--- マリオカートDS ---■■■
  「お前たち、勝ちたいか!!?
   俺はそうでもない!
   勝ちたいと思うな! 負けたくないと思うな!
   戦うときは無欲となれ!
   負けて悔しくなければ、勝ちたいという気も起こらない!
   負けても損をしないなら、別にいいじゃないか!!」
               ☆野仙─「闘将の兵法書」より


会社のセンパイに、なんだか対戦を挑まれそうな空気なので、
『マリオカートDS』を買ってきて練習中です。

ルールもテクニックもそこそこ理解でき、150ccでもワリと勝てるくらいになってきました。
CPU相手ですけど。
しかしまあ、久方ぶりにやってみて改めて思いますが、
これは相変わらず、なんともオイサンの性に合わないゲームであることです。

オイサンはSFC時代からこのシリーズをほとんどやっていません。
レースといえば『F-ZERO』一本槍(後に『リッジ』にも傾倒しますが)でした。

なにが性にあわないって……アイテムで邪魔をするって、なんだそれ。
一番コースを知り尽くし、一番キレイなドリフトワークとライン取りで走る人間が、
アイテム一発で邪魔されてトップになれないというのは……
敢えて言い切ります。
間違っている。

ターボがかかって自分が加速する、
スリップストリームに入って引っ張ってもらう、
百歩譲って、防御目的でカメ甲羅で他者との接触に防御をはるというところまでは認めましょう。
しかしその……他人の足を引っ張って自分が上に立つという、
そのルール化は気にくわない。
なんでそんなキタナイことをしてまで勝たねばならんか。
やらなくても勝てるなら良いですが、それはちょっと考えがたい。
それで勝てるのは50CCまででしょう。

その点で『F-ZERO』は美しく、潔い。
己を知り、地の利を知り、一番早く走ったものがトップを切る。
接触程度の妨害行為はまあ、あるにはありますが。


  男 は 黙 っ て バ イ キ ル ト だ ろ う が !


つまりそういうことですよ。
いや、わかりますよ?
世の中ってのはきれい事じゃすみませんよ。ええ。
人の足引っ張るのが好きな人とか、邪魔する人とか、いますよ。
幼少期からそれを学んでおくのは良いでしょう。

しかしですよ。
例えば、人間には生来そういう発想がないものとしましょう。
その無垢な生き物に、「社会はこういうものだから」といって、
そのような発想を刷り込んでしまうのはいかがなものでしょう。
他人がやってくるのだから、自分もやらねば生き残れません、
とルールとして盛り込んでしまって良いものか。

それは、存在しないハズの闘争を生む思想ではないか。

  ……まあ人間には、闘争本能があったり、
  他人を憎んだり妬んだりという負の機能がやたらと充実していて
  それがまた日々アップグレードされていますから。
  その辺あまり意味のない仮定というか、
  所詮は自分のためにヨソさんを殺すのが大好きな生き物のすることなんで、
  言ってもしゃあねえんですけども。

なんというか……努力して、己を磨いて強くなる、という美徳から
もっとも遠い遊びのような気がしてならないのです。

ただ、少なくとも、救済措置として、圧倒的にトップを走るものには
下々の下らない妬みなんぞどこ吹く風かという程度の影響しかないような、
そういう仕様を用意して欲しかった。
本当に強いものには、そんなものは通用しないんだという
世の中が最後に持っている美しさを見せつけて欲しかった。

なんていうかその辺……任天堂が言うんだから間違いねえんだよ、
みたいな説得力がやっぱあるんでね……。

  ■結論
   マリオカートは、ある程度大人になって、
   人間が十分に腐ってからやるものだ!
   なので、CERO・Z区分化を提唱します。
   残虐な描写や、人間のキタナイ部分が含まれています!


ただねえ……腹立たしいことにこのゲーム、
コースレイアウトは素晴らしいんだよ、ホントに。
キノコリッジウェイとか最高だよ。
だからアイテムナシで、走力だけで競うモードが、ホント欲しかった。
あー、ロクヨンでやりてえ。
マリオカートDS マリオカートDS

販売元:任天堂
発売日:2005/12/08
Amazon.co.jpで詳細を確認する



■■■━ その他、最近のお買い物とか ━■■■
『オーディンスフィア』
『真・らき☆すた萌えドリル』
『卒業 Next Generation』
『新コンバットチョロQ』
『ゲームになったよ!ドクロちゃん身体検査大作戦』

下の二つは中古屋で衝動的に買ってしまいました。
早く隠居して老後ゲームを楽しみたいです。


ikasでした。

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2007年5月 1日 (火)

■Melody of Life -更新第68回-

最近、BOSSのCMを見るたびにイラッときます。
ikas@そういえば午後の紅茶もイラッとくるなあ。

なんででしょうね。
後者は、森光子の妙なキャラ作りがイヤなんですけど。


更新の間が随分と空いてしまいました。ザマミロ。
何をしていたかと言われると、
マまたギャグ程度にやっているオシゴトの方が忙しくなってきてしまったのと、
『ペルソナ3』が終わらねえ、というくらいのものですが。

まあそんな近況も交えつつ、ミもフタもない話を書き連ねていくこの時間。
みんなの身の回りの出来事なんかもドシドシ送ってね。



■■■━ 自分探しの旅、長すぎ ━■■■
レベルは56、時間もとうに120時間を越えました。

世間じゃ『P3フェス』が出て盛り上がっていると言うのに。
じきに『オーディンスフィア』や『どきどき魔女神判』も出るというのに!!
……後の方はあんまり関係なかったな。
そんなことを言いつつも、粛々と進めています、『ペルソナ3』。

しかし今まで気付かなかったのですが、
このゲーム、『1』『2』までとえらくゲーム性が変わっているな。
「ペルソナ図鑑」の存在感が在りすぎる。
この図鑑、
今まで自分がつくったペルソナをそのままの状態で
(=育てたレベル・憶えさせたスキル・アイテム受胎の状態などまで)
登録保存しておけて、お金を払えばいつでもそのペルソナを引き出せます。
つまり合成前に登録しておきさえば、
合成の素材として使ってしまった後でも、素材にしたペルソナを手元に残せることになります。
引き出すのにお金だけはかかりますが、そんな大きなリスクにはならない。
このゲーム、お金で苦労したのは今ンとこ、序盤も序盤の大序盤だけですし。

従来のシリーズ作品では、
どのペルソナを素材にして(=どの能力を失うか)
どんなペルソナを作るか(=どの能力を得るか)
ということを合成後のパーティ編成までを考えて、
取捨選択を行なうことがキモになっていたので、
ちょっとコレには気付くのが遅れました。

『2』→『3』の移行に際して色々細部に小変更はありましたが、
悪魔との交渉の消滅と、このペルソナ図鑑の導入が一番の変更点といえるでしょう。
なので、これまでのシリーズではペルソナ合体はあまり気軽に行なえないものだったのですけど、
今回はバンバンいけます。
なかには誕生時に珍アイテムを孕んでペルソナが生まれてくる
「アイテム受胎」という現象もあったりするので、
それを産み落とす直前の状態で登録しておき、なんども生ませるという
アイテム牧場技も出来てしまう始末。

しかし、『ペルソナ』自体がテーマとして持つ
「しっかり自分と向き合って、どのような選択肢を選び、どのような新しい自分を作っていくか?」
という部分がゲーム性から抜け落ちて語られないのは片手落ちというか脇が甘いというか。
物語で語ることは勿論出来ますしアリなのですが、
そうやってテーマそのものをシステムに組み込まれることでテーマを体感できることが
ゲームというメディアが表現の分野において
大きなアドバンテージなのですから、その辺をよく理解した上で
テーマとシステムを構築して欲しいなあ、と思うオイサンであります。

……ゲームとしては便利で快適で、実にありがたいんですけどね。
それにしてもちょっと……緩いかなあ。
やっぱ岡田・金子タッグはすごかったなあ、と実感。

ペルソナ3フェス(アペンドディスク版) ペルソナ3フェス(アペンドディスク版)

販売元:アトラス
発売日:2007/04/19

■■■━ スーペーマリオ ━■■■
Wiiの『スーパーペーパーマリオ』を買いました。
テレビのCMを見て、ああこれは面白いかもな、と思って。

  WiiのCMはガンガンに画面を見せてくれて嬉しいですね。
  今までと何がどう違うのか、とても分かりやすい。
  PS以降、ゲームCMはイメージ的でユーモア溢れる物が増え、
  それがもてはやされて良い効果を生んだのですけども、
  やっぱりゲーム自体がこう変わると王道のCMがチカラを発揮しますな。

で、肝心の内容の方なのですが、
基本は横スクロールのアクションです。
リモコンは横に持ちます(ファミコンのコントローラと同じ構え)。

特徴的なギミックは2つ。
その1。リモコンを使った謎解き。
画面にリモコンを向けると、動きが一端止まって懐中電灯で照らしたみたいになり、
画面上に隠されたフィーチャーがあるとそれが照らし出される、というものです。
目に見えないブロックがあったり、扉が見つかったり。

その2は、2Dステージの3D化。
Aボタン(十字キー側の親指で十字キー以外のボタンを押すというのもあまり無かったことだけど)を押すと、
視点がマリオの背後に移動し、2Dだったステージが3Dになる
(単純に左 → 右の画面だったのが手前 ⇔ 奥になるだけだけど)。
ゴール方向(画面の右側)が画面奥に移動し、画面の奥へ奥へ進む構成に早変わり。
これまた、2D画面だった時には見えなかったオブジェクトが出現したり、
2D画面では避けきれなかったはずの敵の背後を進めたり。

  コレ、Wiiであることは全然関係ないですね。
  今までのゲームで何で出てこなかったんだろう(笑)。

サテ、しかしコレ……CMを見た時点で気がつくべきだったんですが、
これは『マリオ』じゃない、完全に『ゼルダ』ですね。

どういうコトかというと、
オイサンは『ゼルダ』と『マリオ』の最大の違いは
「論理性が全てを支配している=『ゼルダ、
 身体性が全てを支配している=『マリオ』」
というところにつきると思っておりまして、
今回の『マリオ』はゲームが完全に論理性によって制約付けられている、ということです。
簡単に言えば、
ヒトツの問題に対して答えがヒトツしかないか、
或いはたくさんの、屁理屈みたいな答えでも許容されるか、ということです。

例えば、目の前にカベと門があり、コレを越えていかなければならないという時に、
『ゼルダ』であれば、その越え方には一つの正解があります。

  カギを探して扉を開けるか、
  これまで手に入れたアイテムを駆使してカベを越えるか壊すか、
  いずれにしても「カギを手に入れる」「アイテムを手に入れる」という
  順序が絶対的に要求されます。

ところが『マリオ』では、
製作者の意図した理想的な解も用意されてはいるんですがそれは絶対ではなく、
勝手に編み出したヘンなジャンプで飛び越えたり、
敵を引っ張ってきて踏み台にしたり、
指先と発想がついてきさえすれば、必ずしも製作者の用意した手順に従う必要はない、
ということです。
それでも世界が破綻せず、許容されることがマリオあることだと思っています。

それが今回の『マリオ』では、リモコンで照らして扉を出さないと進めないし、
画面いっぱいに敵が出てきた場面では2D→3D切り替えをして裏側を通らないと絶対にダメだったりします。
世界が完全にロジックや手順に支配されていて、身体性の出る幕が無い。
勿論、道中やボス敵とのバトルやらはアクションなので指技は要求されるのですが、
それはあくまでも手続きをこなすためのアクションにすぎず、
自由度が低く、『マリオ』としてはかなり窮屈な感じです。


  ぶっちゃけた話、なんかカプコンのアクションゲームみたいです。


他にもスコアによってキャラが成長したり、
(ライフ制になっていてでライフ上限が伸びたり、
攻撃力(敵を踏んだ時に与えるダメージ)が増えたり)、
コインで買い物が出来たり、キャラがセリフを吐いたり、シナリオがトチ狂ってたりと
マリオらしくなさ満載なので、
あんまり純粋なマリオアクションではないのは今に始まったことではないのですけども。

私は初代『スーパーマリオ』以降、『Sマリオ2』『Sマリオ3』『Sマリオワールド』と
2次元マリオはすっ飛ばしてきました。
あまり魅力を感じなかったためです。
特に『3』以降のマップからステージを選んで進んでいく、というあのやり方が面倒でイヤでした。
ステージなんか固定でも構わないから、その分1ステージを濃密なアクションで楽しませてくれれば
それでいいじゃんかよ、と思ってしまうのです。

  無論、あのマップ制を採用すると
  いろんな隠しフィーチャーを埋め込みやすくなってボリューム感が出るので、
  容量肥大化、サービス精神の増進が求められたFC後期~SFC期にあっては至極当然の要求というか
  要求への対応ではあったのでしょうけども、

ところがN64の『Sマリオ64』が出たとき、
キンタマを殴りつけられたような衝撃を受けたのを憶えています。
当時は全然お金を持っていなかったのですぐには買えませんでしたが、
オイサン初任給で買いましたねえ、ロクヨン(笑)。
会社入ってすぐでまだ研修中だったのに、研修所の行き道の途中にある新秋津のゲーム屋でね。
GCの『マリオサンシャイン』も相当やりました。

まあそんなんで、アクション至上マリオ原理主義者(長い)のオイサンですから、
正直今回の『マリオ』は若干の肩透かしをくらった格好ですけども、
マもうチョイ進んでもっともっとフィーチャーが出揃えば、
そんな顔も見せてくれるんじゃないかなあと期待しつつ、進めていきたいと思います。

大人っぽくトチ狂ってるところも一杯あるので、
マ笑えるちゃ笑えて楽しいんですけどね。

スーパーペーパーマリオ スーパーペーパーマリオ

販売元:任天堂
発売日:2007/04/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する




■■■━ 怒るオッサン ━■■■
サテ、『マリオ』といえば任天堂、任天堂と言えば京都ですが、
オイサンこないだオシゴトで京都に行きました。

  まあまた何度か行くことになりましょうけども。
  めんどくせえ……。
  オイサンはオシゴトで移動するのキライです。

ほいでまあ、場所が京都ですから。
行きますね。新幹線で。新幹線で行きますよ。
オイサンは当日の朝自由席、なんてのは到底生理的に受け付けませんから、
前以て指定を予約しておいて、まドリのミどぐちへ受け取りに行ったわけですよ。

  ……しかし腹立たしいのが、有名鉄道会社さんは一体いつまで
  『Eきねっと』(有名鉄道会社さんのチケット予約したりサイトですよ)の会員登録に
  クレジットカード番号が必要な制度を続けるのか、ということです。
  オイサンはそれだきゃもう猛烈にイヤなので、未だにプッシュホン予約です。
  このプッシュホン予約がまたどうしようもなくバカなんですけどね。
  さっさとナントカしてもらいたい物です。
  まあ別段、こっちにしてみりゃ利用しないなんてことは不可能なわけですから、
  あっちとしては「直さないよ、イヤなら買わなきゃいいじゃん」と言われてそれまででしょうけどね。
  はいはい負け負け。

まあオイサンの怒りはどうでも良いんですが、
そのまドリのミどぐちでの出来事です。

オイサンのよく利用する町D駅のまドリのミどぐちには窓口が三つあります。
そんでまあ、利用者数が多いですし、人の多いところですからナカナカの混みようです。
オイサンは割と早い段階で並ぶことができたのであまり待たされることもなかったのですが
(て言うかMチダ駅のまドリのミどぐちが、混んで並ぶなんてことは当たり前なので
多少並んだところで全然ダメージないんですけども)、
オイサンの後ろにはものの10分ほどでエラくたくさん人が並び出しました。

デ、3つある窓口のうちヒトツは、
何の事情か分かりませんがお客の対応をせず、
しばし職員が2人ほど張り付いて端末に向かってパタパタとやり取りをしていました。
まあオイサンなんかはオシゴトがお仕事ですから、
「ああ、システムがイッたか端末がイッたか、
 事情はワカランが今あそこは揉めてんだな、使えないんだな」
くらいの想像はつくわけで、そこが使われないことによる処理速度のダウンなんてものは
ホントもう諦めるしかないと思えてしまうわけです。
悪いのはシステム管理部門かゲイツのどっちかで、
窓口のおっちゃんらを責めるのはお門違いであるなあ、とな。

で、おっちゃんらも暫くは取り急ぎ現場での解決を試みていたのですが
どうにも手に負えないと悟ったのでしょう、
ちょっと貫禄のある駅員さんが出てきて、

 「お待ちのところ申し訳ありません、
  この窓口は一端整理が必要ですので閉めさせて戴いて……」

と口上を述べて、窓口を完全に閉じてしまいました。
それを見てオイサンは「こりゃ誰かなんか言うだろうなあ」と思っていた矢先、
殆ど間髪入れずにオイサンの7つくらい後ろにいた「どうするアイフル?」のオッサンみたいなオッサンが

 「いやいや、こんなに並んでるのに閉めちゃうの?
  それは本当にお客様のことを第一に考えた対応と言えるの?
  みんなこんなに待ってるのよ?」

とか言い出したわけですよ。
うわ、このオッサンキモッ、と思いました。
待たされることに腹を立ててるんだったらストレートに文句言えばいいのに、
自分の腹立ちを勝手にみんなで共有しちゃって、
しかも自分で「お客様」とか言うなよ。
何よりも、そのオッサン……仮にIとしましょう、そのIの私憤 → 公憤のすり替え劇の中に、
その場にいた自分も一括して登場させられたことが何より腹立たしく感じました。

デ、無論、有名鉄道会社……仮にJとしましょう、Jの職員さんも、
もう本当にどうしようもなかったのでしょうね、
そして恐らくは、その窓口で起こったことをキチンと説明できるだけの理解もしてなかったか、
あるいは全部説明するのは長すぎるかその意味もないと判断をしたか、
「いえ、申し訳ありませんが整理が必要で……」と繰り返す。

あとはもう二人とも九官鳥みたいなもんですよ。
歩み寄る糸口があるはずもなく、しばし互いの論理の繰り返し。

  もちろん、Iが「イヤみんな待ってるでしょ?」と言うたびに、
  オイサンがイラッと来ていたのは言うまでもありません。
  何度Jのオッサンを援護しようと思ったか。

しかしここで、Jが反撃に出ます。
場に流れる微妙な空気を感じ取ったのでしょう。
Iは「みんなが」「みんなが」と繰り返すが、どうも怒ってるのはこのI一人だけのようだ、ということに。
周りの人たちは割と「端末がイッたんならどうしようもないよね」と思ってくれてるっぽいぞ?、ということに!

 J 「あのですね、ご利用の内容もよりますけれども、外の券売機の方でもご対応できますので……」
 I 「え!? でもそれは普通の券だけでしょ!?
    ××の○○(よく分からないけどなんか特殊な券だか購入形態だからしい)は無理なんでしょ!?」
 J 「いえ、それでしたらご対応出来ます」
 I 「そうなの!? でも割引がつかないでしょ!?
 J 「いえ、各種割引にもご対応しております、はい。
 I 「出来るの? 割引だよ?! 本当に対応してるの!?
 J 「はい、可能です。 こちらでご対応しますので……

と、Jに連れられ、列を外れて表の券売機の方に行ってしまうI。

  もうね、ポカーンですよ。

さっきまで散々引っぱり出していた「みんな」を完全に置き去りにして、
自分の要求だけすっかり通ることを確認すると、
ご満悦でさっさと尻尾を振って行ってしまわれました。

いや、もちろん分かっているんですよ。
彼にとって「みんな」が言い訳でしかないことは。
自分の利益のタメだけに人様にくってかかるのがちょっと後ろめたいので、
「自分の怒り → みんなの怒り」にすりかえて、
ゴタゴタ行ってたんだってことくらいは、まあ……オイサンも大人ですから。

しかし、あそこまで潔いと却ってアレですが、
あそこまでやらかしておいて、自分の欲求だけが解消されたらサクサクと尻尾を振って退場なさることには
あの御仁は抵抗や後ろめたさを感じなかったのでしょうかね?

Iにしてみればシメシメ作戦成功ってなもんでしょうが、
ああ、言行不一致であることはアリなんだ、というなんとも言えない後味の悪さだけを残して、
彼は風のように去っていってしまいましたとさ。

  ちょっとあり得ない話ではあるのですが、
  もしもアレが無意識の産物で、
  「本当にみんなが自分と同じ様な憤りを感じていると信じ込んで文句を言い、
   かつ自分の要求だけが満たされたことによってそれを一切なかったことにしている」
  のだとすれば……これほどタチの悪い人間もいませんね。

久しぶりになんというか……生理的に気持ちの悪い、みっともない大人を見たような気がします。
まあアレをありだというか、その場にいて「そうだそうだ、いいぞもっと言え」
と感じる方もおられるとは思うので、
ああいう人間が世の中─殊に日本みたいな社会通念や美学のまかり通る社会─では
必要とされることもあるだろうなあ、とは理解するのですけども、
オイサンは好かんなあ、ああいうオトナ。

職場とかにいられたらイライラしてしゃあないでしょうね。
キミの身の回りはどうかな!?



■■■━ 豆庵 ━■■■
サテサテ、京都の話が出ましたけども、京都と言えばなんですか?
そう豆腐です。

任天堂と言えば京都、京都と言えば豆腐です。
したがって、任天堂と言えば豆腐、が導かれるわけですね。
私ですか? 私は文系です。

  文系に怒られる前に話を進めましょう。

先日、最寄り駅近くの地下にある、前から気になっていた小料理屋さんで
初めてゴハンを戴きました。

  小料理屋さんでゴハンを戴いた、なんて書きますと
  「ママ、熱燗もう一本付けてくれる?
   いやだけどさあ、ママもいつまでも独身でいるのはもったいないよ、
   まだまだこれからじゃない。
   え、俺かい? 俺はほら、まだ運命の人を捜してる途中だから。
   ……案外近くにいるのかも知れないと、最近は思ってるんだけどさ。
   ……。
   は、はは、はははは!
   イヤ、ちょっと酔っちゃったみたいだな、今日はこの辺にしとくか!
   イヤいいよいいよ、さっきの熱燗は入れてくれちゃって。
   ママ飲んでよ。
   おかしなコト言ったお詫び!
   うん、じゃあまた来るよ! それじゃ!」
   みたいな小粋なやりとりを想像されるかも知れませんが(誰がするか)、
   ランチを戴いただけですので誤解の無きよう。

でワリと無難な和風トリカラみぞれ定食、みたいなんを頼んだのですが、
作りたてのお豆腐が脇についていて、
ゴハン的にはトリカラがメインなのですが、お店的にはそっちの豆腐に力をいれている、
そんなメニューのお店でした。
で、トリカラもお豆腐も出てきて、ああこれはおいしいなと喜んで食べていたのですが、
「あとで揚げ物が出ますので」
と言われた。
揚げ物? トリカラもう来てるじゃん、と思いつつ食べ進んでいると、
出てきたのが油揚げと厚揚げ。
ああ、たしかにコレは揚げ物だ。
と、油断して厚揚げに取りかかると……なんともおいしいのですよコレガ。
外側はばりっとしていて、お豆腐なのに中がジューシィなのです。
無論お豆腐なので中身には油っぽさなどないのですが、
一緒に出てきたトリカラよりもよっぽどパンチが効いている。

  「揚げたての厚揚げとはかくも満足感のあるものであったか!」
  と、見直してしまいました。

油揚げもパリパリでおいしかったのですが、
それにしてもあの厚揚げ。
あまりにもインパクトがあったので、なんかこう、誰かに聞いてもらいたかったのですねえ。
いや近所には知り合いいないし、シゴトバの連中に話してもねえ。
皆さんも是非食べてみて下さい、作りたての厚揚げ。
ホントおいしいから。いやおいしい所のヤツは、だけどさ。

  ……とまあ、いざ記事にしてみると、
  本論と妄想小咄の量が同じくらいになっちゃったな。
  マいつものコトって言うかオイサンの人生自体そんな感じだからしょうがないけど。
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■■■━ ましまろ 5巻 ━■■■
豆腐と言えば、かの名作RPG『マザー』に「いちごとうふ」なんていう
トチ狂ったアイテムがあったっけなあ。

  ほぅら、ここに来て豆腐と任天堂に意外な接点が。
  さすが俺。

でまあ、いちごと言えば『苺ましまろ』が黙っていないわけですよ。
そう、オシゴト帰りにスーツで『苺ましまろ』の5巻を買っても捕まりません。
だってそれは悪いことじゃないから。

このマンガはホワホワしているだけじゃなくてちゃんと笑えるし、
しかもその笑いが日常的かつ先進的であることにすごく価値があるなあ、
とか考えながら風呂で読んで爆笑してたら上の階の人に怒られました。

  風呂の天井をドーン!てやられた。
  相手もイチイチ風呂まで来てドーン!ってやったんだろうなあ。

何が先進的であるかと言われたら、
例えば4巻のepisode40、「雨」において、
勉強している千佳の机の脇に、美羽が使用済みのティッシュを置いたのに対し、
千佳がどうツッコむか?
という場面において、
自然に「二度見 → ツッコミ」をした千佳に対して皆が
「おお、ああいうやり方もあるのか」と軽く感心するところなど、
『真面目な千佳をイジリの対象にして、
 バカなことの勉強を、輪を掛けて真面目にしている4人』
という構図をキャラクターたちの輪の外から見たとき、
日々の中でこういう空気がおかしい、ということを敏感に心に書き留めている
作者のセンスであるとか、
その空気を「世間的にもこれはおかしいだろう」と確信する力であるとか。
ああやっぱりプロってのはすげえな、と唸ってしまいます。

他にも同じepisodeの「ですよね!」の一撃であるとか、
5巻からだとepisode50冒頭の、美羽のツッコミ待ちどや顔であるとか、
もう腹筋が切れそうなくらいおかしいわけです。

確かに『苺ましまろ』は萌え系マンガですし、
「萌えキャラではなく、微妙な空気とテイストが素晴らしいんだ!」
と吠えてみたところで、
小学生女子というファクターを引き去ったところで
その空気の絶妙さとテイストが生まれるかと言われればそんなことはないでしょう。

『かわいいは正義!』というキャッチコピーがモノを言うほど、
オイサンは彼女らのかわいさに惹かれるモノはないですし、
かわいい、というよりもおかしさの方にこそ価値を感じますが、
「小学生女子」という設定に、かつ「二次元の世界である」という事実が拍車を掛けて、
現実が落とす疲労感や憂鬱という名の影と無関係のところにあるからこそ
あの笑いは一層無垢なモノになりえる、という意味で、
萌えマンガには一定の価値があるなあ、と深く思うわけです。

  だからどうだっつうんだこのロリコン野郎!
  とか、信恵姉だったら言うんだろうなあ。
  別にロリコンじゃないんだけどなあ。
  だって小さい子供とかオイサン大嫌いですよ?
  なんかもうね、○い。
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■■■━ ゴーゴー夕張 ━■■■
……とオイサンが書くと、なんだまた北海道行くのかとか言われそうですが、そういうことではなく。
じゃあ表題の単語は何なんかと言われると、
コレはアレです、映画『キルビル』における女優・栗山千明嬢の役名です。

オイサンはロリコンなだけじゃないんよ(コラ!)、
たまには生身の、大人の女性にも興味がないわけではないんよ、ということを見せておくために
そういう話でもしようかね、という小賢しいオイサンの一面ですよ。

オイサンはワリと、この栗山千明さんが好きです。
て言うか芝居してるとこなんか殆ど見たこともないんですが
(上で訳知り顔で書いた『キルビル』だって見てやしねえぜヘヘン)、
以前パナの携帯のCMで……

  ……Pいくつだっけかな、ちょっと待ってね探しますから……
  ああ、コレですね。

……でお見かけしたときに、
「ああ、なんか神秘的な影のある女性だなあ、きれいな人だなあ」と思ったのがきっかけです。
まあCMの作り方もすごく上手だったと思いますね。
キレイな絵になっていたと思います。
なんというか、お写真を頻繁に撮るようになっていた時期でもあったので、
なんかこう「被写体として美しいモノ」としての憧れがすごく強かったというのもあります。

  以前知り合いに「これこれこういう人が今好きなんだけど」
  という話をしたら「この人は怖いよ」と一蹴されて若干へこみました。

えー、ついでにちょっと突っ込んだ話をしておくと、
オイサンは正直、生身の女性にはなんというか、ほぼ肉体的な欲求の対象としての魅力は求めていません。
なんかね、そういうものを生身に向けるやり方というか、
自然に生身にそれを感じる手続きの仕方みたいなものを忘れてしまいました。
思い出すこともあるのでしょうけども、少なくとも年単位でここしばらくは
生身に対してそのような感慨を受けた覚えというのがちょっとありません。

そんなオイサンが、じゃあ生身の女性に対してどのような魅力を感じるんだ、と問われれば、
ごく自然に「創作物のモチーフとして」の興味が第一です。
上の栗山さんだったら、「キレイに写真に撮ってみたい」とか、
「お話の主人公にしてみたい」とか、そんなんばっかです。
インスピレーションの素としてたくさんの要素を孕んでいたり、必要以上に刺激的であることが
すごく大事です。
もちろん、その方自身が創作の仕手であっても良いでしょう。

  ……という話をですね、この前会社の先輩に
  「ikasはまだ生身の女の子に興味は沸かないの?」と聞かれた折に披露いたしますれば、
  その先輩には
  「意味が分からない」
  とだけ言われてしまいました。
  ホント日本の成人男性って話が合わんわ。

それは多分に、相手のことをかなり「お人形さん」的に扱っていることに他ならないと思うので、
多分もう暫くは、普通の女性と普通の関係を築くことは、
まあ無理だろうなあとワガコトながら思ってしまうわけであります。

さてまあそんな栗山さんですが、
この間なんかの番組で……思い出した、オリラジがやってる深夜番組ですね。
しかしあのオリラジってのはなんだね、芸の方は面白いのかね?
すっかりバラエティ・MC・司会業がメインになっちゃってるみたいだけどさ。
なんていうのかな、毒もアクもない、新世代のロンドンブーツ1号2号みだいなん?
そういう方面では若手らしからぬ手腕を発揮してそうで、
そういう方面に特化していくならいいですけども、お笑い芸人ならお笑い芸人としてのワザも見せてもらいたいものですねえ。

  ……とか言っても、東野や今田も同じようなもんか。
  ああいう手腕を求める世界があるんだから、それでいいのかな。
  オシゴトとしてやっていく分には。

えーと、オリラジの番組でですね、栗山さんが出てました。
なんかのドラマでヒロインやるので出てきた、みたいな話だったんですけども、
すっごいインドア派で、小学生の頃みた『エヴァンゲリオン』にオオハマリしていて、
初恋の人? だか好きな人だかが渚さんちのカオル君で、
好きなタイプがカオル君系の不健康そうな美少年だとか、
家にフィギュアも一杯あって、休みになるとDVDアニメのDVD-BOXを出してきては並べて眺めている、
というよく分からない人だというお話を披露していました。

まあどこまで本当の話だかわかりませんが、
DVD-BOXのくだりで
「DVD-BOXを出してきても、別に中身(=コンテンツ)を鑑賞するわけじゃないんです、
 とりあえず並べてみて、眺めてみて、揃って並んでいることに対して
 満足すると言うか、ウットリすると言うか」
みたいな、かなりこう、自分でヤッてないと出てこない、深みのある発言をしておらっしゃったので
多分あらかた本当なんだろうなとは思います。

オイサンはさっきのPの携帯のイメージがすごく強かったので
おああ、そういうパーソナリティの持ち主か、とかなりビックリしました。
と同時に、ああ、じゃあまあイキナリ二人きりにされても多少話は繋げるんだなあ、
と考えると、ちょっと安心しました(何の心配をしていたのか)。
しかし同じそういう趣味の人間でも、
あそこまで自分を抑制して(あの体系や髪型を維持するのは、やっぱ大変らしい)暮らしている人がいるというのは
やっぱりすげえなあ、と思うわけです。
オタクだけどイケメン、ってレベルじゃねーぞ!

……かと思えばこの方、
実は14歳くらいの頃に既にヌード写真集を出しておられます。
今では児ポ法に引っかかるってんで発禁になってしまっていて、
ある意味伝説的な一冊なんだそうです。

なあんだ、結局オイサンはそういう匂いにつられただけなんじゃないですか?
うるせえ!
あ、ちなみに今彼女が出ているドラマは『鉄子の旅』? だそうでーす。
もちろん見ませーん。
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■■■━ エンディングトーク ━■■■
まあそんなんで、あとは最近になって板垣恵介版『餓狼伝』を一生懸命読んでます、だとか、
文庫版で『デカスロン』を読んでます、だとか、
あまり新しい世界を切り拓こう!という気概が見受けられないikas先生に励ましのお便りを書こう!
……という少年ジャンプ的な引きでごまかそうと思ったんですが、
そういうファンレターを出そう的なアオリって、今でもジャンプとかにも載ってるモンなんですかね?

 「富樫義博先生にはげましのお便りを書こう!」

……とか、若干シャレにならないものを感じるのはオイサンだけですかね。
余計なお世話ですかね。
あーあと、『ひだまりスケッチ』のDVDとかサントラとかは相変わらず買ってます。
4月配信分のWebラジオも秀逸だったぜイエイ。

春の新番は、結局『グレンラガン』と『瀬戸の花嫁』『らき★すた』で大安定ですけども、
うち2本で監督が差し替えられ、プロデューサーが舌禍問題で辞任するという異例の事態に。
ネットってこわいぜ。


マそんな感じで。
あのさ、題材を募集します。
なんか「このコトについてどう思ってんだよデブ!」みたいのないですか。

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