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2006年7月30日 (日)

■10歩先を走るその背中、僕に似てるんだ -更新第43回-

めがっさにょろにょろ
めがっさにょろにょろ。

ikas@週に2日はカイシャに泊まる生活。


7/13の記事に私の友人がコメントをつけてくれていますが、
7/7に、堀部秀郎さんという絵描きさんが亡くなりました。

  正確には、7/7にお亡くなりになっていたことが公にされたのであって、
  実際にお亡くなりになったのはその一月ほど前だそうです。

件のコメントのほかにも、知り合いからメールが届いたりしました。
堀部さんの絵をご覧になったことのない方は、
Google先生なんかに聞いてみると分かると思いますが、
アニメチックな中にも、割と頭身高めで破綻のない人物をお書きになるヒトです。
……だと思います。

私が見たことあるのは雑誌の表紙とか、ゲームのキャラクターデザインとか、
人物が中心なのでそういう印象が強いです。

私は割とこの人の絵、絵と言うか、イラストが、特にまあ女性が好きでした。
といっても、ちゃんと接したのはこのブログを始めたばかりの頃にやっていた
ゲーム『FRAGMENTS BLUE』が最初で最後なので
あまりエラソウなことは申せませんけども、
それでもそのテのお店や本屋なんかで見かけると、おっと目を留めるくらいはしていました。
主にPC-Angelだけどな!

  ……「これで黒田和也さんが亡くなったりした日にゃ
     『主にメガストアだけどな!』という同じネタが使えるなあ」
  とか思ったオイサンにバツとしてネタバラシです。

それでまあ、好きは好きなりに画集なんかも手に入れてみたわけですが、
いやあすげえ、男性の絵がほっとんどない!
全然ないといっても差し支えないくらいない。
100点はあろうかというイラスト群の中で、カットの隅にちょっと映りこんでるのが2、3点あるばかりで
あとみんな妙齢の女性です。

  まあ妙齢といってもヒトによって色々あるけども。

他に特筆すべき内容としては、
この人はホントに女のヒトのおシリが好きなんだなあ、ていう。
まあ、実際のところは本人が好きというか、
彼の描く女性のおシリを好きな人が多いんだなあ、という感想ですか。
おシリを描かせたら桂正和かこの方か、と言うくらいのおシリっぷりです。
私は生身の女性のおシリは見たことも触ったこともありませんのでよう知りませんが、
もしも私が2次元だったら、とりあえずこの人の描く女性のおシリを見に行きます。

  一体何を言っているのかサッパリなのはいつものこと。

そしてこう、なんというか……
とてもこう、死んだヒトの絵だとは思えない。
いや、モチロン絵自身はご本人の生死とは関係ないんでしょうし、
ご本人も健勝なときに書いたにちがいありませんので当たり前田のミニ四駆なんでしょうけど。
死ぬヒトの書いた絵に見えない、というんでしょうかねえ。

ヒトが死ぬときなんていうのは、
陰が落ちたり、匂いがしたり、ナニガシかの気配のようなものを発する物とばかり思っていました。
特に作家さんや絵描きさんや、表現者と言われる方々は
周囲に対して自分そのものを発して生きておられる方々です。

  ……だと思ってます。

そんな方々ですから、発する物にもそういう気配は滲み出たってなんら不思議はないと思うのです。
お亡くなりになった原因は急性の心不全だったということですから、
そんな気配を発するヒマもなかったのでしょうか。
それとも、商業作家としてやっているプロの方は、そんなものは発することはしないのでしょうか。
自分を包み隠し、受け手が自分の指先に望むカタチだけを迸らせ続け、
私である気配、袈である気配を切り離し、晴の空間のみを提供し続けるのが、
仕事人、プロヘッソナルの本来の姿なんでしょうかね。

それは確かにそうなのかも知んないですね。
つまらない背中や、世俗にまみれた薄暗い気配を振り切りたくて、
牙を持たないフツーの人たちは、創作や表現の、インチキな虚構の世界を求めるのかもしれないです。
逃げてきた先でまでツマラなくてちっぽけな自分の姿を姿見に映してみたいとは思わないでしょう。

でも、でもですよ。
自分の大好きな作品を発表し続ける人たちが、
一体自分たちと同じ人間として、どんなつまらなさをかかえているのか、
それを見てみたいとは……思わないモノでしょうかね。

  ……今こんなことを書いていて、
  「……いや、『水曜どうでしょう』の連中は決してそんなことはないはずだ。
   だけど彼らは立派なプロだ」
  と思ってしまった。

私は、割と職業な人たちを人間として上手に見ることの出来ないタイプの人間なんです。
どういうことかというと、たとえば学校の先生。
彼らはモチロン先生である前に一人の人間であるわけなんですけど、
私にしてみれば、彼らは人間であるまえに先生でしかないのです。
端々に垣間見える彼らの、
先生としての不完全さ、あるがままのかれらの破片を拾い集めることが出来れば
そんなくだらない間違いは起こさないで済むはずなのですが、
私にはそれが難しい。
店員さんは店員さん、ホテルの従業員さんは従業員さん、
なにか極端に彼らが彼らである証を見せてくれない限り、私は彼らを正しく認識することが出来ません。

  今の職場の上司にしたってそうです。
  自分と同じ生き物として見られるように、最近ようやくなってきただろうか、
  というくらいです。

その点では、表現者の皆さんというのは
仕事の端々に、まるで冗談のように彼らが彼ら個人である証を比較的分かりやすく覗かせ、
優しく歩み寄ってきてくれるように、私は幼い頃から感じてきました。
そんな気がしています。

そんな中、堀部さんの絵からは、比較的「彼が彼であった証」を嗅ぎ取りにくい、
そんな印象を、今マジマジと画集を眺めなおしてみて受けました。
だけれども、この人の絵にはひきつけられますし、一目で「ああ、堀部さんだ」とわかることでしょう。

  ほんでおシリが出てればもう一発だ(笑)。

それは堀部さんの絵を描く姿勢やサービス精神だけが醸し出すことの出来る、
唯一無二の気配のためだといえるでしょう。
だから、堀部さんの絵は間違っていないんだと思います。
だけど、ちょっと疲れちゃったのかもしれませんね。
もう少しラクに、もう少し楽しく生きていくことが出来ていれば、
ぼくらはもうちょっと長く、堀部さんの描く魅力的で幻惑的な女性とそのおシリを見ていられたかもしれない。

  もちろん、ご本人がラクに生きていくことを選択したその瞬間にも、
  私らはその絵を見る機会を失っていたかもしれませんけど。


おカラダを必要としなくなった今、
堀部さんは大好きなおシリに囲まれて暮らしているんでしょうか。
それとも、そんなおシリをご本人は望んでいなくて、
タブレットもコピックもない世界で大の字になって笑っているでしょうか。

冥福、なんてものが本当にあるのか知りませんけど、
もしもかつて堀部さんであったものが、今もどこかで揺らめいているのなら、
優しく楽しく、やっててくれるといいですな。
そんでまた、暇見ておシリ描いてください。


って、軽く出だしの挨拶書くつもりだったのがえらく長くなったので今日はこの辺で。
まそんなんでヒトツ。
                     Yours―堀部秀郎ART WORKS

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